青島。
ずっと自分に付き合ってくれる。
今日は満月だ。部屋の窓から見上げる空は、紺碧で、月はたいそう美しい。
君は今夜、当直だったな。
室井はカーテンと窓を空けたまま、ビールを飲んでいた。
昼間電話した彼は明るく、また明日会う約束を承諾してくれた。
一人が寂しい時、彼に電話すれば良い。
彼はいつでもそこにいて、自分を支えてくれる。
そう、彼が怪我をした時意外、自分は励ましてもらっている。
それがなければ仕事ばかりで、手柄を立てたいばかりで・・・。
最近ずっと部屋に転がっている、美味しい店やスポットの話題の雑誌。
青島がいればこそ、穏やかな気持ちが訪れる。



あなたが眠りについたころ、俺は働き出す。
今日、事件は特に起きてなくて、待機だけど・・・。
ビール飲まないと寝れないらしいから、いつも切らさないあの人。
気難しいと思われたあの人は、いろいろ話せる相手が欲しかった・・。
それが俺で。

安心できるらしい。
不安症なあの人、すまなそうに、でもしっかりと仕事してる。
時々一緒に食事をしたり、東京や近県のあちこちに出かけた俺達。
頼られて嬉しかった。青い顔をして、心中を打ち明けた、あの人・・。
くじけそうな時、相手が精神科に通うほど苦しい時、俺は側にいるよ。
「もしもし・・・ねえ薬飲んだ?」
「いや・・・ビールを飲んでいる。」
「今日は、いい?」
「ああ。いらない。明日は会えるな。」
「ええ・・でも、ちゃんと行きたいとこ決めておいてよ。」
「いつも決めてるだろ。」
ぶっきらぼうなのはいつものこと。
いつだって昨日のことみたいで・・・。
俺は相談に乗ったよ。東北大出で、いつも立場が苦しい事、それでも、 嫌味言う割には、管理官に引きたててくれる人も居るってこと、 終わらない捜査に、会議室での長い待機、掛け持ちのせいで重い鞄の中身、 休みがあっても気の晴れない、つぶれない時間・・・。
ひとりでぶらぶらしたり、実家に帰ったり、旅行してみたり。
キャリアってぜんぜん付き合わないのかな?
という質問に、所轄の接待は多い、との発言。
じゃあ、署長クラスとばっかり、うちの署長みたいなお軽い発言するような タイプと付き合えばいいじゃない。
湾岸署にきて、ヨイショは慣れてきたって言ったけど、じゃああの青い顔と あの日からの付き合いって何なのって、数年たった今でも思うんだけど。
精神的なものって、医者に言われてるらしいけど、時々すごく周りが怖くなるとか。
もうとっくに治ったんじゃないのっていっても、俺に甘えることは忘れない。
いいけどね。
俺といても不安そうな顔するから、ほおっとけないよ。
「室井さん!」
「勝手に来て悪い。」
私服姿の室井と、仕事中の青島は、刑事部屋のソファに座った。
「出てきちゃ駄目じゃない。」
「月を見ていたんだが、こっちに来たくなった。」
「明日会う予定だったじゃない。」
「いいだろ。」
「さっき電話したばっかり。」
「実は近くまで来てた。」
「そう・・明日は非番だからいいか。うちの署、居やすいしね。」
「こんな格好で来るの始めてだ。試してみた。」
にっこりと笑う室井に、青島はつられて微笑んだ。
「月を見ていたら出歩きたくなった。それだけだ。」
「ずいぶん変わりましたね。」
「俺も歳をとった。」
「40すぎたからって弱音は駄目です。」
青島の厳重注意で、室井は立ちあがった。
「長くいると変に思われるだろ。」
帰り際、室井は言った。
「もう十分変ですよ。」
青島は見送りながら言った。


次の日の約束の時間に、室井は現れなかった。
青島は慌てて室井の部屋に向かう。
そこももぬけの殻で・・・。
夕べ署に来たからって、どうしたんだろ。まさか違う場所でまっていないよな。
そう思っていると、室井が現れた。
「室井さん!」
「あ・・悪い青島、急用で警視庁に行っていたから・・。」
スーツ姿で、鞄をもった室井だった。
「ああよかった。きのう署から一人で帰ったから不安だったんです。」
「うん・・着替えるから待っててくれ。」
青島が外でタバコをふかしながら待っていると、私服で出てきた室井と一緒に出かけていった。
出かけてきて戻ってくると、 「また会えるか?」
「昇進試験やれよ」と小さく言った。


会議室に居ると、胃が痛くなる。胃の薬を飲んで、室井はまた席に戻った。
捜査の進展がないと、息が詰る。
何度も目を通した捜査資料が目の前にあるが、触る気もしない。
青島も捜査に出ていて、呼びつけられもしない。
彼だけが今も、心の支えだった。
「はいお茶です。」
暖かいお茶が届けられた。昼になれば食事が渡される。
「ありがとう。」
これが青島だったら。と室井は思う。
抱きつかせてくれるだけ、彼はやさしい。いや、室井ほどハンサムなら、 たいがいの湾岸署の婦警はOKなんだけど、ただ室井が、青島がいいだけで・・。
真崎管理官も優しい。女性にもモテ、小百合さんとは付き合いはじめたようで・・。
だけど、ただ一人、室井が抱き付いても嫌がらないのは青島だけで。
君は知ったら、きっと嫌そうにするだろう。真崎を見ながら、室井は思った。
そんな時だった。


北新宿署に出向くことになり、その後思わず一人で出まわっていた時、急に視界に入った男は、室井の腹を蹴り、室井を引き倒し、ガツンガツンと殴り、頭に蹴りを入れつづけて、昏倒させたのである・・・・・・。


北新宿署に通報が入り、男が倒れているとのことで急行した工藤刑事は、 雨の中びしょぬれで倒れている室井を発見、すぐに救急車を呼び、室井を 抱き起こした。濡れた上着などを引き剥がし、自分の着ているコートで身体を温め、救急車の到着を待つ。
外傷はほとんどなかった。ただ、額にわずかにすりむけた跡がある。
上着から身分証明書を見つけて、工藤は驚いた。
「警視正かよ・・・・!」
雨の中、自分の乗ってきた車に室井を乗せると、赤色灯を付けて走り去った。
雨の中、病院で検査を受けさせたが、室井に別状はなく、無事に意識を取り戻した。
「一人で出歩くんじゃねえよ。何にも知らないで。」
赤チンの塗ってある額にバンソーコーを貼りつけてやりながら、病院の患者服を着て、びしょぬれのスーツが乾くのを待っている室井をみる。
いささか冷たい肌をさすっている姿は、ただの被害者で。
「携帯は駄目になっちまったよ、びしょびしょで。」
目の前に出された携帯は、とても触る気にならなかった。
「湾岸署の、青島君に連絡を。」
「これでとりな。」
工藤が差し出す携帯で、室井は青島の番号を押した。
事情を説明したが、別の事件で動けないとの事で、室井はがっかりした。
こんな時こそ、青島にすぐに来て欲しいのに。
「ちょっと聞きたいんだけどよ。あんた、何か薬飲んでんのか?」
工藤はポケットから薬を出して見せた。
「隠しといてやったよ。やばいのじゃねえだろ?」
「・・・安定剤だ。不安症なんだ。言わないでくれ。」
「服が乾いたら送っていってやるよ。」
「すまない。」
「寒いんなら布団に潜ってろよ。」
工藤に言われて、布団を引き寄せる室井。
「よくキャリアが勤まってるな。」
案外に優しい声に、室井はなんとかなるものだ、と答えた。


「室井さん、大変でしたね。」
「青島、遅かったな。」
室井の部屋で、二人は向き合った。
「俺が一人で動いた。俺のミスだ。」
「無事で良かったです。北新宿署にも良い刑事が居る。助かりましたね室井さん。」
「ああ。」
「俺、室井さんに言わないといけないことが・・。」
「わかってる。嫌なんだろ。でも俺は君が良い・・・・。」
「俺、室井さんが心配だから言います。俺達の真似はしないでください。
今日のようなことにもなります。」
「そうか、分かった。」
「怪我がこのくらいで済んでよかった。」